会長のつぶやき No.8
 

「守成(しゅせい)

 攻撃的な「創業」に対し、事業を定着させる「守成」は華々しくはないが、
 「創業」の困難、「守成」の苦労は両輪の如しである。

 何れも難しいが、時を誤れば失敗を招く。

 社会が右肩上がりの成長期には「創業」を志し、飽和社会が訪れた時期には「守成」に重心を置き、安定を目指す。
 その方向を見誤らなければ成功者になれる。

 現在の自分の位置はと、考えてみたい。

 

 

 

「大概」

 「大概」鹿児島言葉で(てげてげ)。
 意味は「大雑把」あるいは「程ほどに」ということであり、
 現代はあまり良い事とは受け取られない状態のことである。

 しかし、日本社会の中で、これが認められ活用されたことにより、村落共同体が出来上がり、
 助け合う風土が生まれた。

 「大概」(てげてげ)は恕の心であり、大きな寛容の心でもある。
 厳しく他を警戒し非難する現代であるが、
 心の豊かさである「大概」(てげてげ)もまた大切なものではないだろうか。

 

 

 

「時間」

 時間は平等に移り過ぎて行く。
 時間を上手に使う人は多くの仕事をすることが出来るが、下手な人は時間に追われることになる。

 どうしたら時間を有効に使えるだろうか。
 それは、計画と集中の訓練と習慣ではないだろうか。
 常に計画を立て、気持ちを集中させて行動することにより、確実な効果をあげることが出来る。
 これが習慣となると大きな人生の開きが出来ることになる。

 時間を大切に使い素敵な人生を築こう。

 

 

 

 「リズム」

 好きな音楽にはその人が快く感じる「リズム」がある。
 すべてのものにリズムがあり、自然の中にも、生活にも人生にもリズムがある。
 リズムを感じ、リズムを取れる人の動きは滑らかで活発である。
 また、リズムが同調するときは快さを感じ、万事がスムースに運ぶ。
 リズムを崩すと不快感が増し、何事も上手くゆかない。
 思考も行動も又リズムとなる。

 生活の中によきリズムを、人生の中に素晴らしい同調するリズムを求めよう。

 

 

 

「仏心、人心、鬼心」

 行き倒れの人がいる。

 「仏心」が言う「可哀相だ、助けてあげよう」。
 「人心」が言う「どうすればいいんだろう」。
 「鬼心」が言う「ほっとけよ、関係ないんだから」。

 「仏心」が言う「善を施したら、巡って自分に帰ってくるよ、助けてあげよう」。
 「人心」が言う「何かしてあげたいけえど、どうすれば良いか判らない」。
 「鬼心」が言う「どんな人か判らないのに、係りあうと怪我するよ」。

 迷った人間は、少しの金を恵んで立ち去った。
 現代の人達、これでいいのかなあー

 

 

  

「評価」

 他人から良い評価をもらうと嬉しい、そして、励みにもなる。
 評価が悪いと評価する人の見方が異なるからだとも考える。

 しかし、何れにしろ自分を客観的に見るチャンスである。
 評価はそのときの自分の姿である。
 厳しい評価ほどしっかり受け止め、姿勢を正して良き評価を得る努力をすべきではないだろうか。

 

 

 
 「価値」

 諺に「猫に小判」とある。
 小判の価値は猫には判らないので与えても無駄ということである。

 人間に小判を与えれば、人間はそれを使って欲望を満たす。
 小判は人間にとっては価値を持つが人間以外には価値は無い。
 「価値」とはそれを利用できるものにしか与えられない「手段」のひとつでしかない。

 小判という「手段」がなくとも、猫は生きてゆける。

 

 

 

「極める」

 先日テレビで「玉子屋」という東京の弁当屋の話題を放送していた。
 毎日一種類の日替わり弁当を一日6万個以上売っている店の話であった。
 その日によって注文
(売上)個数が異なるが残数が極めて少ない。

 ある日の実績は売上60346個に対し残数6個である。
 6万人の方々に好んで食べさせる事も凄いが、残数率1万分の1と言うのは驚異のことだ。
 それも毎日である。
 
 計画、研究、スピード、連絡、対応、これらをすべて「極める」凄さであろう。
 少しでも見習いたいものである。