会長のつぶやき No.4
 

「学力低下」

 今回、経済協力開発機構が昨年40カ国の地域の15歳を対象にした「生徒の学習到達度調査」で、
 日本の高校1年生は、実施4分野のうち読解力が前回の8位から14位に、数学的応用力も1位から6位に下がった。

 文部科学省は「日本の学力は国際的に上位だが、最上位とは言えない」と世界トップレベルからの脱落を認めた。
(南日本新聞 128日)



「基礎と独創」について

 画一的な教育では、独創性、創造性が生まれないというが、画一的な基礎的な学習を嫌っては、創造は出来ない。
 また、出来たとしても片寄ったものとなり、一般に寄与し、通用はしないものではないだろうか。

 独創性は育てるものではなく、持って生まれるものである。
 周りに出来ることは、それを潰さないようにすることである。(小田 稔)

 の言葉が甦る。


 「ゆとりの教育」を掲げ、週5日制を、多くの有識者の反対を押し切って、
 推進した文部科学省の誤りが表面化したものだと思う。
 教師の自由時間をとり、子供の感性と、独創を育てるとのことであったが、
 遊びの時間が増えただけではなかったのだろうか。


 どうでしょうか? 



孫子の兵法にある「孫子の五徳」

 第一に「智」、第二に「信」、第三に「仁」、第四に「勇」、第五に「厳」

 一の「智」について

   将は、その集団の代表者である。
   その時々の状況に即して決断をし、指示をしなければならない。
   そのためには「智」が必要である。
   将は、創造力に富まなければならない。

 二の「信」について

   「信」を得ることは、自分の言ったことに対して責任を持つことである。

   将は、自分の言動に対し、責任を持たなくてはならない。

 三の「仁」について

   「仁」とは、愛情である。集団生活をするためには「仁」がなければ成り立たない。

   将は、部下に対する思いやり(愛情)がなければならない。

 四の「勇」について

   将に、勇気が無ければ、その集団の士気は高まらない。
   困難に直面すると部下は必ず将の顔を見る。
   将は、勇気を持って、困難を克服しなければならない。

 五の「厳」について

   「厳」は、決まりをキチンと行なうことにある。
   これは、部下に向けるだけでなく、特に、
将は、自分に対し、厳しさを課さなければならない。

   地位が上がり、責任が重くなるほど、より厳しく持たなくてはならない。



「嫉妬」

 「嫉妬」「ゼラシー」は女性の性(さが)であるような表現が過去にもあったが、
 決して女性だけが持っているものではない。
 より、男性の中にこそこの「嫉妬」は大きく存在し、それによる大きな事柄が起きている。


 源の頼朝が義経に対して持った「嫉妬」が源氏の滅亡を早め、
 明智光秀が秀吉に対する「嫉妬」が織田信長への反逆となった。

 「能力」への「嫉妬」。

 「嫉妬」は持たぬ者が持つ者に対して抱く、暗い憧れだと思う。

 「嫉妬」はパワーである。暗いパワーである。

 このエネルギーを自らの努力により、明るいパワーに変えて、成功に導いた人も多数である。


 「嫉妬」を「競争力」に変える心の持ち方を学ぶべきではなかろうか。




「立派な心」 

 「立派な心」は、強い心と正しい心と温かい心である。

 強い心を失うと、意気地が無い人間になる。
 人は恐ろしいもの、苦しいものを感じるのは皆同じである。
 それに向かうか、逃げるかである。


 正しい心を失うと、狡い人間になる。
 心の中で正しい心と、自分本位の心が争っている。
 狡い人は、一時的には成功するかもしれないが、長くは続かない。


 温かい心を失うと、軽薄な人間になる。
 人が互いに協力する事により大きな力を得る。
 協力が利害で結ばれたものは、それが無くなると協力は崩れる。
 「有難う」と「思いやり」の温かい心こそ強い協力の結びつきである。


 自分の中に「立派な心」を養おう。



「人生の物差し」

 社会の先端を行こうと走る人、
   他人より早くものを得ようと走る人と、
     それに追いつかず出遅れゆっくりと歩く人。

 先を行く人が有利で、ゆっくり行く人が不利とは限らない。
 先を急ぐ人は先端を行くことが目的であり、
 ゆっくり歩こうとする人は先端を行くことは目的ではなく、楽しむことが目的かもしれない。

 人を測る物差しは一つではない。
 ひとつの尺度にこだわる事は人生を狭くする。
 多くの尺度を持つことは人生を豊かにする。
 多くの友を持つことは、多くの人生の素晴らしさを知ることになる。



「存在感」

 赤ん坊は何もできない。
 何もできないが、大きな存在感がある。
 その笑顔を見て人は怒りを忘れ、悲しみを忘れ、幸せな思いに包まれる。


 大きくなるにつれ、いろんなことが出来るようになると、その存在は薄れ、
 存在よりもその子が、何ができるかということへ興味が移っていく。 

 大人になると、その人の存在は、社会的地位、社会活動、所有財産などに左右され、
 その大きさが存在感として受け取られる。
 しかし、表面に現れている地位や財産を失い、活動が出来なくなった時、
 (赤ん坊と同じように何も出来ないようになったとき)その存在感は消滅する。


 あの、赤ん坊の大きな存在感は何だろう。近づきたいものだ。